「ソーシャルビジネスの時代」(2013年11月11日掲載)

「ソーシャルビジネスの時代」

(2013年11月11日掲載)

ソーシャルビジネスの起源と企業の変遷

私の好きな言葉として、イギリスのロバート・オーエンの「私の使命は『信頼』という、触ることのできない、感じるしか無い価値を意識しなくても目に見える形にする人生だと思う」というのがあります。私は、2009年に公益財団法人「信頼資本財団」を個人として立ち上げた際、この言葉に大いに影響を受けました。

オーエンは、18世紀の終わりに児童労働が当たり前の時代に、工場内で幼稚園の前身になる就学前の教室を作った人で、これがソーシャルビジネスの起源と言われています。彼は理想の実践者でした。協同組合等の事業も手がけ、アメリカに渡って私財を投じてインディアナ州において共産主義的な生活と労働の共同体(ニューハーモニー村)の実現を目指したが失敗しました。ドイツの経済学者エルンスト・エンゲルからは、シャルル・フーリエ等と共に「空想的社会主義者」と評されたりもしました。時代の挑戦者は、いつの時代も常識との戦いです。

産業革命が始まって約半世紀が過ぎようとする頃に社会の理想が歪んできました。それを事業家達が事業力で理想に近づけようとしてきました。企業は共同体の一員であり共和の精神に基づくものであるという精神がその表れです。今でも「企業市民」という言葉として認識されています。

生活が最重要基盤になっている時代には、共和の精神に基づき生活者や事業家、行政機関や政治家が、それぞれ当事者になって健康な社会を築いていました。共に社会を豊かにする精神がソーシャルビジネスと呼ばれる社会企業を形づくっていました。

もともと企業とは、産業革命から生活力をつけた市民が、王から独立して生命や財産を守る「自由」を尊厳としていき、その尊厳を守る制度と機能として、国民国家と資本主義を発展させ、小さな力を集め大きな力に変えていったものです。

しかし、その後企業は、産業革命による技術発展と市民の企業活動のエネルギーが、法の下では平等というモラルさえも罰金という経済力で解決するという倫理崩壊を引き起こし、市民革命の理想も風化していくことになります。

そして、ウォール街大暴落を契機とする世界大恐慌(1929〜1930)と第二次世界大戦(1939〜1945)による社会の停滞と破壊。企業はこの修復にエネルギーを使い、企業活動からは共和の精神が失われていきます。第二次世界大戦の米国の勝利により「企業目的は、社会の向上でなく、自己利益の追求である」という倫理観が確立しました。ジェレミ・ベンサムが唱えた功利主義、「最大多数の最大幸福」の主張です。

戦後社会の関心事は前回「9.11から3.11」で述べましたが、第二次大戦後に経済問題から軍事問題、冷戦終結後には軍事問題から経済問題、そして21世紀は地球環境問題へと移行するかに思われました。しかし、20紀末のカレンシーショックが、地球環境問題よりも金融、経済の問題に人々の興味をひきつける結果となりました。そして、2013年10月現在、「米国史上初めてのデフォルトが起きる」との可能性が警告されています。 

このように、企業の役割はそもそも持っていた「地域社会の社会的課題を主体的に解決する立場」から、「共同体より個人と国家の幸福を優先する立場」(功利主義)、その後「市場優先主義」へと変化していきました。つまり、国家と市民の時代→軍事の時代→経済の時代→環境の時代→金融の時代へとなってきたのです。

時期 時代 企業を取り巻く背景
18世紀末 国家と市民の時代 企業は共同体の一員であり共和の精神に基づく
19世紀 経済の時代 モラル違反の罰金すらも圧倒的な経済力で解決する
20世紀前半 軍事の時代 社会の向上より自己利益の追求(功利主義)
冷戦終結後 経済の時代 市場優先主義
20世紀末 環境の時代 CSR(企業の社会的責任)が重視される
21世紀 金融の時代 貨幣経済が実態経済を凌駕する

これからは「ソーシャル ビジネス」が未来の推進役になる時代

人口70億を超え膨張する世界と、超高齢化少子化し収縮していく先進国。金融と工業が生み出す社会格差、地球環境問題、生物多様性問題、エネルギー・資源・ 食料の枯渇問題。これらの社会課題の増大には行きすぎた消費と所有が関わっています。こうした社会課題の増大を、税収に基づく国民国家が解決する近代シス テムは、その限界を露呈しています。

一方情報発信と個々人の意識に目を向けると、20世紀の初期は、新聞やラジオの情報から国民国家という意識が生まれ、20世紀中期には、テレビとレコードで個人の表現が生まれ「個性」が重要視され、20世紀後半から21世紀になってインターネットの発達で「共感」による新しいコミュニティが発生しています。

無機的な金融の時代に有機的共感のコミュニティが生まれたことは、新しい共同体の芽生えとみなせますが、この共同体が当事者になって健康な社会を築くためには、具体的な価値の交換を生む事業が必要になります。

いまや投票行動から社会的動機性に基づく購買行動を増幅させて、社会課題を解決する方法しか残されていないと私には思えるのです。

2011.3.11に東日本大震災を経験した日本では、この2年間で被災地の復旧復興が動きだし、原発事故の対応をしています。これからの日本社会では、有機的共感コミュニティの発生した時代を背景に、産業が発展すればする程、自然関係と人間関係資本が増加する「ソーシャル ビジネス」が、地域の「共和の精神」を商品化して、社会ニーズの市場化をしていくことで、未来の推進役となっていく時代だと思います。その結果、人間と自然をコストにした近代システムを超える民主主義と資本主義の融合した共感主義が生まれるのです。

2013年11月11日
アミタホールディングス株式会社
代表取締役会長兼社長 熊野英介

会長メッセージ


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※2013年3月11日より、会長・熊野の思考と哲学を綴った『思考するカンパニー』(増補版)が、電子書籍で公開されています。ぜひ、ご覧ください。

※啐啄同時(そったくどうじ)とは

  鳥の卵が孵化するときに、雛が内側から殻をつつくことを「啐(そつ)」といい、これに応じて、母鳥が外から殻をつついて助けることを「啄(たく)」という。雛と母鳥が力を合わせ、卵の殻を破り誕生となる。この共同作業を啐啄といい、転じて「機を得て両者が応じあうこと」、「逸してはならない好機」を意味するようになった。

 このコラムの名称は、未来の子どもたちの尊厳を守るという意思を持って未来から現代に向けて私たちが「啐」をし、現代から未来に向けて志ある社会が「啄」をすることで、持続可能社会が実現される、ということを表現しています。