「承る:近代社会の本当の主役」(2014年3月11日掲載)

「承る:近代社会の本当の主役」

(2014年3月11日掲載)

東日本大震災から3年がたちました。
我々はこの間に学んだはずです。極大化し複雑化した近代社会は裕福ではあるけれども、エネルギーや食料を調達する仕組みが機能しなければ、人間の尊厳すら守れないということを。そして、どのような危機に直面しても、人間は助け合うことで希望を持てるのだということを。

人々が助け合いながらエネルギーや食料を自ら確保し、豊かな関係性にあふれる自治社会を作ることが、民主主義を守ることになります。強い国家や組織に依存することが民主主義ではありません。

リンカーンが「人民の、人民による、人民のための政治。」と民主主義の本質を演説したのは、50,000人の死傷者を出した1863年の南北戦争の激戦地のゲティスバーグでのことでした。

その翌年、日本では明治維新の幕開けともいえる禁門の変(1864年8月)が始まり、日本の近代化として国民国家の構築のため、多くの犠牲者を出しながら歴史は進んで行きました。近代国家の建設という歴史の流れの中で、実に約323万人の尊い命が費やされたのです。

主な戦争 年代 死者概数(人)
戊辰戦争 1868~1869年 8,200
日清戦争 1894~1895年 13,800
日露戦争 1904~1905年 85,000
第一次・第二次世界大戦
(太平洋戦争)
第1次大戦(1914~1918年)
第2次大戦(1939~1945年)
3,120,000
合計 3,227,000

そしてさらに、多大な犠牲を伴って築かれた近代国家が織りなす近代社会もまた、約117万人というかけがえのない命を飲み込んでいるのです。近代国家の構築のために、命を捧げた人々。構築した近代社会のために命を失った人々。彼らが生きたかった命を、私たちは受け継いでいるのです。

主な事象 年代 死者概数(人)
交通事故(交通戦争) 1946〜2013年 610,000
阪神大震災 1995年 6,500
東日本大震災 2011年 18,500
自殺(心の戦争) 1997〜2013年 530,000
合計 1,165,000

もちろん日本だけでなく、近隣諸国でも多くの命が失われています。

主な事象 年代 死者概数(人)
朝鮮戦争 1950~1953年 4,000,000
中国 大躍進政策 1958年 20,000,000
中国 文化大革命 1966~1977年 20,000,000
合計 44,000,000

19世紀以降民主主義の旗のもと、近代国家を作るため尊い命が失われています。
私には、無念の思いで去っていった人々の最後の声が聞こえます。

「あとを頼む!」

そして、残された我々は「承る!」と心に誓います。名もなき人々のバトンを受け、未来にバトンを渡す。どのようなバトンにするかは、我々次第です。国民のための国家であるはず。国家のための国民ではないはず。無念の尊い命は、「国民の、国民のための、国民による国家」の建設を残っている我々に託したのだと思います。

東アジアに生きる我々は、近代国家を構築するため、多くの犠牲を出した末裔です。漢字を使う、米を食べる等々、文化を共有する部分が沢山あります。近代国家建設のために多くの犠牲を払ったという反省もまた共有する部分です。

禁門の変から150年、第一次世界大戦から100年たちました。無念の命を近代社会に捧げた人々からの「あとを頼む!」という声に耳を傾け、神妙に「承る」と覚悟する。日中韓の国民よ!市民よ!多くの同じ価値を持つ仲間よ!互いに連帯しましょう。民主主義の原点に立ち返り、市民の自治を自立的に築き、その暮らしを反映する世界を広げ、近代の本当の主役にならなければならないのです。

今我々はこれらのことを学び、真の近代社会の主役になれるかが問われています。同じ歴史、学び、気づきを得た人々が、仲間がいます。そんな仲間と時代を作りたい。人々と笑顔と元気でいつまでも感謝し合える理想の社会を目指して!

3.11を迎えて、「合掌」

2014年3月11日
アミタホールディングス株式会社
代表取締役会長兼社長 熊野英介

(注:本原稿の数値には諸説あるものも含まれるため、概数としています。正式な数値を示すものではなく、いかに多く犠牲を払ったかをお伝えする意図で引用しています。)

会長メッセージ


amita15.jpg

※2013年3月11日より、会長・熊野の思考と哲学を綴った『思考するカンパニー』(増補版)が、電子書籍で公開されています。ぜひ、ご覧ください。

※啐啄同時(そったくどうじ)とは

 鳥の卵が孵化するときに、雛が内側から殻をつつくことを「啐(そつ)」といい、これに応じて、母鳥が外から殻をつついて助けることを「啄(たく)」という。 雛と母鳥が力を合わせ、卵の殻を破り誕生となる。この共同作業を啐啄といい、転じて「機を得て両者が応じあうこと」、「逸してはならない好機」を意味する ようになった。

 このコラムの名称は、未来の子どもたちの尊厳を守るという意思を持って未来から現代に向けて私たちが「啐」をし、現代から未来に向けて志ある社会が「啄」をすることで、持続可能社会が実現される、ということを表現しています。