第1回「近代の誤作動」(2017年1月10日)

2017年度啐啄同時は「新しい時代~innovation3.0~」をテーマに、近代の時代背景を紐解きながら、新しい時代を切り拓くために必要な「イノベーション力」について連載します。



「近代の誤作動」

「新しい時代−new era− ~Innovation3.0~」と題した連載第1回です。

元旦に、前書きとして私が目指す「共存経済」について書きましたが、今回はなぜ今、精神的な飢餓貧困が拡大しているのか?を考えてみたいと思います。そこには「幸せを求め続けたにも関わらず、なぜか大事なものを失ってしまった」という近代の誤作動がありました。
(2017年1月1日配信の「共存経済」についてはこちらからご覧ください。)

さて、いきなりですが「人権」の反対は何でしょう?「独裁」?「奴隷制」?私は、専制的な教会などの「宗教の権力」や「封建的な王権」だと思います。
宗教や王政が支配する不自由な社会から、個人の生命と財産を守る自由を求めた人々が興したのが市民革命です。それは、14世紀のルネサンスから始まり、産業革命までの約450年に渡る人間復興の長い長いストーリーの結果と言えます。

11世紀頃から13世紀まで続いた十字軍の遠征は、イスラム社会から新たな文明を西洋に持ち帰りました。それは、保守的で停滞していた当時のキリスト教社会に人間目線の文化をもたらします。
15世紀には、その文化がアルプスを超え、16世紀には活版印刷技術によってドイツ語の聖書が流布するようになり、聖書のもとに誰しも平等であるというプロテスタントが発生し、自我と言う概念が確立しました。神によって「人間の尊厳」、すなわち「人間の生命と財産を守る自由」が認められているというエネルギーが、中世から近代を作っていったのです。

こうして神の意志に従い人間の尊厳を目指した人々は、聖書が示す勤勉と清貧に励み、余剰労働資本を蓄積し、さらにそれらを産業資本として産業革命を興し、中産階級へと成長していきます。そして、これも聖書に忠実に人間の尊厳を求める市民革命を興し、専制的な教会や絶対王政から解放され、自由を手に入れます。三権分立という新たな社会システムを作り、神のもとに平等から法のもとに平等という仕組みを作ったのです。さらに、小さな市民の意見も反映される民主制と、小さな資本で大きな影響を生み出す株式会社を作り、自治の基本となる共和制を作り出します。これらはすべて、平等と公平を実現する試みだったのです。

しかし、平等社会は嫉妬を増幅させ、公平社会は能力格差を増幅させてしまいます。皆さんも心当たりがあるのではないでしょうか?この状態を平衡させる為には、相手を思いやる「共感」、つまり博愛が必要です。この「共感」によって生まれる人間関係性が継続するような共同体を、自治力の最適解とする都市の時代が始まります。しかしその一方で、資本家と労働者との格差は広がっていきます。こういった人間の尊厳が劣化した社会に警鐘を鳴らしたのが、資本論を書いたマルクスです。その思想に共鳴したレーニンがロシア革命を興し、格差社会の撤廃を実現します。こういった革命の伝播を恐れたドイツのビスマルクは、国民に所得税を要求する代わりに社会保障を約束することで、社会的格差の是正を行いました。

しかし、社会保障を約束するための所得税は徐々に増え続け、しだいに工業化や植民地化を進めるための軍事力強化に使われてしまい、経済力と政治力は相乗的に膨張し始め、第一次世界大戦が起こってしまいました。これらの流れの中で「人間の尊厳を守る」と言う近代の理想が終焉し、国家の為の国民という時代に突入していくことになるのです。
次回第2回は、この近代の後半ともいえる時代について考証したいと思います。


2017年1月10日
アミタホールディングス株式会社
代表取締役会長兼社長 熊野英介

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会長メッセージ


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※2013年3月11日より、会長・熊野の思考と哲学を綴った『思考するカンパニー』(増補版)が、電子書籍で公開されています。ぜひ、ご覧ください。

※啐啄同時(そったくどうじ)とは

 鳥の卵が孵化するときに、雛が内側から殻をつつくことを「啐(そつ)」といい、これに応じて、母鳥が外から殻をつついて助けることを「啄(たく)」という。 雛と母鳥が力を合わせ、卵の殻を破り誕生となる。この共同作業を啐啄といい、転じて「機を得て両者が応じあうこと」、「逸してはならない好機」を意味する ようになった。

 このコラムの名称は、未来の子どもたちの尊厳を守るという意思を持って未来から現代に向けて私たちが「啐」をし、現代から未来に向けて志ある社会が「啄」をすることで、持続可能社会が実現される、ということを表現しています。