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代表 熊野の啐啄同時「信頼の世紀―微力なれども無力ではない―」

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2011.3.11東日本大震災。太平洋沿岸に位置する福島県南相馬市 (右図:赤色の地域)は、最大震度6弱を観測。
沿岸部には津波が押し寄せ、甚大な被害に見舞われました。
同時に、福島第一原子力発電所事故により放射能汚染地域とされ、物資や情報が不足する事態に。
地元の方々は食料・生活物資・燃料の窮乏に苦しみました。

近代システムが機能しない数カ月を経験した地域は今、
どのような未来を見ているのか?

今回は「ふるさとは風化するのか?」というテーマを軸に

  • 高橋 美加子さん((株)北洋舎クリーニング 代表取締役、まなびあい南相馬 代表
  • 相馬 行胤さん(相馬家34代目当主、NPO法人相馬救援隊理事長)

以上のお二人に、これからの"地域"と"豊かさ"についてお伺いしました。


近代というフィクション

熊野:はじめに、震災の前後で、地域にどのような変化があったかをお聞かせいただけますか?
震災直後、福島第一原発から20キロ圏は立入禁止区域となっていました。
この南相馬市も一部、立入禁止になっていましたね。

高橋さん:震災直後の原発事故により、この地域は外部から遮断されていました。インフラは正常だったのですが、外部からの物流が途絶え、最初の頃はATMも使えませんでした。市役所に50部ほど届く新聞を並んで読んで、なんとか状況が分かる。情報が圧倒的に不足していたので、地域のいる人たちと助け合って"どこのお店が空いているか"といった情報を共有していました。

熊野:相馬さんはいかがでしたか?

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相馬さん:近代社会は"自分たちが何をしていても生かしてくれる社会"だと思い込んでいました。震災があって、そうではないと気付かされました。

「強制力のない指示」って、怖いなと感じました。震災直後、南相馬市は立入禁止の「警戒区域」と「屋内退避区域」、「その他の区域」の3つに分かれていました。国からの情報では「避難しなくてもよい」という地域でも、その地域の組長は「逃げろ」と言う。どちらに従うのか、情報が足りない中で、自分たちで判断しなくてはなりませんでした。 もう1つ困ったのは、戸籍の管理体制が崩れたことです。被災後の数カ月は、どこに誰がいるのか把握できない、カオスな状態でした。物資を配る時に人が集まってきて初めて「あ、この人もいたのか」とわかることもありました。

熊野:ああいった出来事があると"便利"を信じていたのは近代の"フィクション(思い込み)"であったことを思い知らされます。震災の時はコンビニも機能しないのですから。でも震災から8年経った今、世の中の人々は再び「便利な社会が自分たちを救ってくれる」と思い込もうとしている気がします。

震災から8年が経った今、この地域はどんな状況ですか?

相馬さん:2020年で、国の「復興・創生期間」が終わります。国からの補助金・助成金が出ていたこれまでの期間は、なんとか地域として存続できてきました。ここから1つの地域としてどうしていくのかは「市民の声」で決まるのだと思います。

ネット社会を中心に、原発事故に対して「実は大丈夫ですよ」という意見と「危ないよ」という意見の両方が存在します。ネガティブなイメージも完全には払拭できません。子どもたちや若い人にとって、不安が消えない地域であることには違いない。それも含めて、自分たちでこの地域をなんとかするんだ、と思っています。

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熊野:近代社会の制度は、たかだか150年の歴史しかありません。ここに住んでおられる皆さんはおそらく、もっと以前からある文化に根付いたアイデンティティをお持ちなのですね。

相馬さん:「100〜200年後の話なんて解決できない」という人がいますが、たった3代4代後の話です。私どもは野馬追(※)を1000年以上続けています。ただし1000年間同じことを続けているわけではない。後世にそのスピリットを伝えるために、アレンジし続けています。この地域の未来に向けて、できることは沢山あると思います。

(写真:一千余年の歴史を誇る伝統行事「相馬野馬追」)

高橋さん:被害を受けた地域が、行政区ではなく相馬藩の形にあてはまっていたためか、震災の時「相馬藩=地域」という感覚が蘇ってきたんです。それから震災直後、私たちを救ってくれた言葉があります。それは、相馬さんの「私たちは、多くの大切なものを失った。けれど相馬藩の歴史の中では、これが"最悪なこと"ではない」という言葉。それを聞いて「ああ、今が一番ひどい時じゃないんだ」と思えたんです。視点が変わって、とても勇気づけられました。

熊野:効率性のための経済圏や、意思決定のための政治圏をもとに、行政区は区切られていますが、それにより文化の基礎である自然を破壊してしまったのが近代だと思います。ここ南相馬でいえば、相馬藩や野馬追と言った文化で繋がっている地域、すなわち文化圏の再構築を目指すことが「ふるさと」という感覚をもたらすのではないかと思います。「ふるさと」に対して、今はどんなお気持ちですか?

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高橋さん:リベンジ、反骨精神ですね。「このままではすまされないぞ」という。そのためには「自分たちが"ちゃんと"暮らしてればいいんだ」と思っています。

熊野:まさに独立気風の野馬追精神ですね。「どうせ死ぬなら、きちっと生きる」という。"ちゃんと暮らす"ということについて、もう少し教えていただけますか?

高橋さん:この地域の未来を考えた時、私には「何かを残したい」という想いの前に「自分たちはちゃんと生きてこなかった」という反省があります。というのも、震災があって、この地域をこれからどうしていこう、と考えた時に思ったんです。「残すものがない」と。「残すものがない」ということは、ちゃんと生きてこなかったんだと思いました。だから、もう一回「ちゃんと生きたい」。

これまでは農家も商業者も「あそこより安いかどうか」といった、お金のことばかりを基準にしていました。常に外から入ってくる業者との闘いでした。そういう状態だったのに、震災の時、外からの影響がない、風がまったく吹かない、という経験をしました。その時、思ったんです。これまでずっと"比較"で生きてきたけど、そもそも「生きるとはなんだろう」と。

震災後の1〜2年間は、みんな哲学者のようだったんです。"地域ってなんだろう""自分たちはどう生きるべきなんだろう"って。一度地域を離れた人は、改めて認識したのだと思います。"自分にとっての故郷"というもの、その土や水や空気、食べ物が、どれほど自分の体の一部だったのか。どれほど美しいものだったのか。そういうことを思い知りました。原発事故が教えてくれた1番の学びだと思います。


※「相馬野馬追(そうまのまおい)」

鎌倉時代から続く旧相馬領藩である南相馬で行われる、一千余年の歴史を誇る伝統行事。相馬氏の祖 平将門の軍事教練に由来する神事として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。総勢500騎にも及ぶ江戸時代さながらの騎馬武者行列や神事は圧巻。


>>>次ページ故郷(ふるさと)の豊かさとは?」


「啐啄同時」に対するご意見・ご感想をお待ちしております。
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https://business.form-mailer.jp/fms/dddf219557820


■2019年連載「信頼の世紀―微力なれども無力ではない―」

アミタホールディングス株式会社の代表取締役である熊野英介のメッセージを、動画やテキストで掲載しています。2019年度啐啄同時は「信頼の世紀―微力なれども無力ではない―」をテーマに、「誰一人取り残さない」持続可能な未来創造に取り組まれている方々との対談をお送りしてまいります。

これまでの「啐啄同時」一覧


■代表 熊野の書籍『思考するカンパニー』

2013年3月11日より、代表 熊野の思考と哲学を綴った『思考するカンパニー』(増補版)が、電子書籍で公開されています。ぜひ、ご覧ください。

※啐啄同時(そったくどうじ)とは

鳥の卵が孵化するときに、雛が内側から殻をつつくことを「啐(そつ)」といい、これに応じて、母鳥が外から殻をつついて助けることを「啄(たく)」という。雛と母鳥が力を合わせ、卵の殻を破り誕生となる。この共同作業を啐啄といい、転じて「機を得て両者が応じあうこと」、「逸してはならない好機」を意味するようになった。

このコラムの名称は、未来の子どもたちの尊厳を守るという意思を持って未来から現代に向けて私たちが「啐」をし、現代から未来に向けて志ある社会が「啄」をすることで、持続可能社会が実現される、ということを表現しています。