第4回:情報のイノベーション ―企業の個性を生み出す「Intelligence」―(2018年9月11日)

2018年度啐啄同時は「共感の時代-信頼が資本になる社会-」をテーマに、新しい時代の価値観や企業に必要なイノベーション力について連載します。



第4回:情報のイノベーション ―企業の個性を生み出す「Intelligence」―

前回は「市場のイノベーション」をテーマに、これまでグローバルやマスを対象としていた市場が、今後はローカルへと拠点を移し、さらにこれらが相互に連携するネットワークマーケットへと移行していくだろうと述べました。今回は、市場を創り出す要素の1つである、「情報」について考えます。

情報という言葉は、森鴎外が作った言葉で、「情」=心の感じ方+「報」=伝え方という意味の造語だそうです。この言葉の意味を、私たちは単に「知識や知らせ」と捉えがちですが、英訳すると2つの意味を持つことが分かります。

1つは『information』。これは「伝える・伝えられる」という行為に焦点を置いた「情報」の意で、価値判断を必要としません。
もう1つは『intelligence』。これは「知能」や「諜報」などと訳される、何らかの解釈や価値判断が伴った情報を指します。

  • 価値判断を伴わない情報(information)
  • 価値判断を伴う情報(intelligence)

という、2つの概念が、今回のテーマを読み解く鍵になります。

これを念頭に、まずは20世紀以前の「情報と社会の関係」を振り返ってみましょう。
代表的な出来事は下記の3つです。

▼15世紀~17世紀  大量印刷技術の発明
活版印刷技術、蒸気式の印刷機などの登場により、一部の市民が新聞や写真といった情報(information)を手にし始めます。同時に、情報(information)のビックデータ化が始まります。

▼17世紀~18世紀  市民革命の発生
産業発展と共に資本を蓄えた有産階級(=ブルジョワジー)が情報(information)に、自分なりの価値判断を加え、情報(intelligence)として発信し、政治に参画するようになります。

▼20世紀  第一次世界大戦、第二次世界大戦の勃発
テレビやラジオの放送が開始され、マスメディアを通して一般市民に情報(information又は intelligence)が届けられるようになります。

20世紀の大戦の政治的な原動力となったのは、マスメディアを通して、人々の心理を特定の主義・思想(イデオロギー)に仕向けるプロパガンダ(宣伝行為)でした。新聞やラジオを中心としたプロパガンダは、中産階級の心理的ストレスを刺激し、主戦派層を増加させました。

大戦後は、軍事産業の民生転用が起きたように、プロパガンダの影響範囲も、政治から経済へ移行しました。同時にテレビという、視覚情報と音声情報、さらには「時間」という要素を伴った新しい情報媒体が、人々の消費欲求を刺激し、市場を増幅させました。
このように、とりわけ20世紀以降は、マスメディアの後押しを受けた「情報」が、社会に影響を与え、政治や市場、価値観を創ってきました。

ところが、20世紀後半になると、インターネットによる情報革命が生じます。
これを先立って指摘したのが、1960年代に梅棹忠夫が発表した論文「情報産業論」です。
日本が高度経済成長期の真っ只中で、テレビのカラー放送が始まった時期に、梅棹は、農業時代、工業時代に次ぐ「情報産業時代」の到来を指摘しました。これは「情報」を物質的資源と同等に、価値ある資源として位置づけた新しい文明観でした。

梅棹の指摘通り、情報は物質的資源と同じように、市場において拡大再生産(生産で得た利潤の一部を再び投資し、生産をくり返すことで、生産規模・品種・量が増大すること)されるようになりました。

しかしながらバブル崩壊を機に消費経済が縮小すると、情報生産にかかる費用も廉価にせざるを得なくなりました。そして、これと入れ替わるようにインターネットが登場し、誰もが情報を発信・取得できるようになり、各人が持つ情報の格差は縮まっていきました。結果、「希少な情報」というものが存在しなくなり、情報の専門家であるはずのマスコミ・出版業といった産業ですら、情報に伴う「価値」を、自ら創出できなくなってきています。

さらに21世紀に入ると、「情報」に2つの変化が生じます。

① 情報と社会の関係

20世紀、社会は影響力の強いマスメディアから発信される情報に影響を受け、その方向に形成されていました。これが、21世紀のパーソナルメディアの時代になると、個々人が無数の情報(information又はintelligence)を選択し、価値判断を行い、情報(intelligence)を発信するようになります。今の社会は、SNSを中心とした個人による情報発信の集合体によって形成される傾向が強く、マスメディアはサブシステムに降格しつつあります。

この変化は、工業社会の常識からの脱出でもあります。インターネットが普及する以前は、個人が持つ情報の質・量に差があり、特定分野の情報を多く有すること、すなわち専門家であることが重視されました。人々は「複雑な全体を分解してパーツを調べることで全体を理解しよう」とする西洋の還元主義に沿って、正確な情報を求めました。
また、市場には「適者が生き残る」というダーウィンの競争原理が根付き、企業は生き残るために情報操作をして市場を創ったり、情報の格差を利用したビジネスを展開したりすることが可能でした。

しかし今、「成功」や「正解」が簡単には定義されない時代に突入しています。「正確さ」が権威を失い、人々は「全ての事象は、生態系のように、全てに依存している」という事実に気付き始めています。「正解は人の数だけある」といった認識が広まり、世の中はどちらかというと、東洋の混沌主義的な世界観に近づいているのです。
今後はますます、今西錦司の共存原理のように、異なる種が「すみ分け」によって共存することで進化をしていく、調和的な傾向を帯びていくでしょう。

② 「印象派」的な情報の標準化

事実情報を発信するニュースのように「写実的」表現が主流だった時代、事実や物理的な輪郭、時間軸を超えて、自身の感覚や印象を重視した表現、言うなれば「印象派」的な表現は、他者にオリジナリティを感じさせるものでした。人々は発信物に自分なりの「価値判断」を加えることで、自らの個性を発揮したり、自己承認欲求を満たしたりすることが可能でした。

21世紀に入ると、この「印象派」的な表現が、様々なサービスを通して発信され始めます。より感覚的で受信者に価値判断が求められる表現が、インターネットという情報空間で、YouTubeやInstagramといったツールを通してやり取りされています。さらに、これらの表現が「ビッグデータ」を構成し、誰もがいつでも取り出し、編集できる時代になっています。
このような時代の変化に伴い、それらを発信・受信する側の価値観や、個々人に依存していたはずの感覚もまた、標準化されつつあるのではないでしょうか。既に、単なる「印象」の発信だけでは、個人のアイデンティティを表現することは難しく「印象派」の延長としてのアートも、100年前のように存在感を示すのが難しい時代に突入しているように思います。

今では、個人も企業も、そのまま情報(information)を伝達するのではなく、情報を原料として、自分なりに加工(Intelligence化)し、価値を生み出すことが求められています。
この「加工」という工程こそが、人が個性を発揮できる場面です。「加工」の余地が多い企業ほど、スタッフは仕事を通して自分らしさを発揮し、やりがいを見出すことができるでしょう。その過程を仲間たちと共有する空間自体もまた、自己表現の場となるはずです。また、そのように働く人々の姿勢は、そのまま組織の個性につながります。

企業が「どのように情報を加工(Intelligence化)するべきか」については、ビジネスを持続的にさせるという意味においても、前回の連載で述べた「記憶」というキーワードがヒントになると思います。人の「記憶」に残るために必要なのは、五感を使うこと、それを他者と共有することです。
「印象派」的な表現が、「写実的表現に『時間』という要素を独創的に掛け合わせたもの」(=写実×時間)であるとすれば、これからの時代、「記憶」に残る表現は、さらに「五感を体感できる『空間』という要素を掛け合わせたもの」(=写実×時間×空間)になる、と私は考えます。
このように「体感」や「記憶」といった要素で加工を施していく表現は、従来のビジネスの域を超えて、限りなくアートの領域に近い、と言えるかもしれません。

このような表現が、自然資本と人間関係資本の増幅を目指す社会の駆動力になる時、自然と人間をコストにしてきた工業社会に対し「持続可能社会産業」が新しい市場になる、というのが私の仮説です。

なぜならば、「持続可能社会につながる」商品やサービスは、顧客にとっても、新しい自己表現の手段になると考えられるためです。既に、人々が価値判断を伴う情報(intelligence)発信として、「持続可能社会につながる」商品やサービスを選択する時代が、訪れつつあるように思います。
そのようなライフスタイルを選択する人々が、新しい価値観に基づく市場を形成していくでしょう。

ひいては、この市場が、新たな情報(intelligence)のプラットホームとしての役割を果たしていくのではないでしょうか。

2018年9月11日
アミタホールディングス株式会社
代表取締役会長兼社長 熊野英介




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※2013年3月11日より、会長・熊野の思考と哲学を綴った『思考するカンパニー』(増補版)が、電子書籍で公開されています。ぜひ、ご覧ください。

※啐啄同時(そったくどうじ)とは

 鳥の卵が孵化するときに、雛が内側から殻をつつくことを「啐(そつ)」といい、これに応じて、母鳥が外から殻をつついて助けることを「啄(たく)」という。 雛と母鳥が力を合わせ、卵の殻を破り誕生となる。この共同作業を啐啄といい、転じて「機を得て両者が応じあうこと」、「逸してはならない好機」を意味する ようになった。

 このコラムの名称は、未来の子どもたちの尊厳を守るという意思を持って未来から現代に向けて私たちが「啐」をし、現代から未来に向けて志ある社会が「啄」をすることで、持続可能社会が実現される、ということを表現しています。