価値と資本の意味を問い直す~根源的な今を生きる「原現在性」とは?~(前編)

「いい会社」への投資で「いい未来」を創る ~お金には想いを伝える力がある~(前編)

「人間についての探究」と「社会に関する構想」を架橋する――。
それを基本的な関心領域として、「定常型社会=持続可能な福祉社会」という社会構想を掲げてきた、京都大学 人と社会の未来研究院教授の広井良典氏。
そんな広井氏が2021年に発刊した著書の内容に共鳴したという、当社代表取締役会長 兼 CVOの熊野英介。今回の対談では、それぞれの原点や世界の歴史に触れながら、今、社会をどう見ているかについて深く語り合いました。
(対談日:2024年9月19日)

社会への違和感の原点「中2問題」「高3問題」

熊野:現職に着任されたのはいつですか?ご経歴も改めてお聞きしたいです。

広井氏:京都大学に赴任したのは2016年からです。1986年に東京大学大学院の修士課程を修了してから、当時の厚生省に入り、10年間で福祉や社会保障、医療の分野を担当しました。

その間2年間ほどアメリカに留学していたこともあり、官庁にいながら二足のわらじ的に『アメリカの医療政策と日本』(勁草書房)などの著書や、論文を書いていたんです。その内容に関心を持ってくれる方がいて、幸い千葉大学から話があったので、千葉大学に移り20年勤めました。それから京都大学に移り、9年目になります。

熊野:千葉大学学長を務められた、生物環境学者の古在豊樹さんがいらっしゃったときですか?

広井氏:さすが、よくご存知ですね。その通りです。

熊野:古在さんには、僕がファウンダーを務め、広井先生にもシニアフェローを担っていただいている公益財団法人信頼資本財団の設立時に評議員を引き受けていただきました。財団の設立当初、僕は二項対立を前提とする西洋的哲学の限界を感じ「信頼というものが資本になる」と語っていたのですが、「何言ってるんだ」という反応が少なくありませんでした。でも、古在さんは分かってくれたんですよ。

広井氏:古在先生はそうだと思います。理系の方で、いわゆる植物工場というものをパイオニア的に作られたことでも知られていますけど、そういう理念や哲学的なことにも理解があって、センスを持っておられる素晴らしいお方ですよね。

熊野:そうですね。ちなみに僕は1956年生まれなんですが、先生はおいくつですか?

広井氏:1961年生まれの63歳です。熊野会長とは、1970年代に多感な時期を過ごしたことが共通していますね。

70年代と言えば、公害問題を受けて71年に環境庁が設置され、72年に国際的なシンクタンクであるローマクラブが有名な『成長の限界』を出して「100年以内に地球の成長は限界に達する」と発表し、73年には第一次オイルショックがありました。同年は「福祉元年」とも言われましたが、今振り返ると、あの頃が世界的にも日本の文脈から見ても、日本社会が転換するチャンスの時期だったと思うんです。しかし残念ながら日本社会は変わらず、そのままバブル崩壊まで突き進んでいきました。

熊野:そうですね。僕たちが初めてお会いしたのが確か8年前、広井先生にご連絡して京大にお邪魔したんですが、あの頃、僕は「近代」というものを総括する必要性を感じていました。僕らの若い頃、「ポストモダン」という言葉はあっても、それは近代を超えていないのではないかと思い、ずっと「新しい近代、価値とは何か」を考え続ける中で、無形性の資本に着目し、2009年に信頼資本財団を設立しました。また、コミュニティというものは昔からあれど、そこでは同調圧力が発生することもあるし、真に良きコミュニティとは何ぞや?という問いの中で、広井先生の存在を知りました。「定常型社会=持続可能な福祉社会」というお考えに共感して、僕から「会いたい」とお願いしましたね。

これからも拡大成長を目指すのか、それとも定常型社会を求めていくのかを問いかけた『定常型社会 新しい「豊かさ」の構想』(岩波書店)というご著書は、私なりにずっと考えていたことの言語化をサポートしてくれたんですよ。「まさに、ルールは変わっていくのにこの世の中が変わっていないじゃないか」と。

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この「道心の中に衣食あり」という対談シリーズは、「どういう道を我々は歩むべきなのか」というテーマで様々な方とお話しさせていただいています。広井先生は2021年に『無と意識の人類史 私たちはどこへ向かうのか』(東洋経済新報社)というご著書を発行されましたが、今日はそれを書かれた動機をお聞きしたいんです。

広井氏:あの読みづらい本によくぞ関心を持っていただき、ありがとうございます(笑)。なぜそのようなテーマに関心を持つようになったかという点からお話しすると、あとがきにも少し書きましたが、誰しも生きていく上で原点になった問題や関心があると思うんですね。それを「原問題」と呼んでいます。

私にとっての「原問題」、つまり大きな節目は中2と高3のときにありました。私の実家は岡山市の、今はシャッター通りになっているような商店街で、化粧品や文房具を万(よろず)屋的に売る店を営んでいたんです。地方都市で受験とは無縁な世界でしたが、中学に入ると偏差値や成績の順位が出るようになって。得体の知れない、上昇のエスカレーターに無理やり乗せられているように感じました。

「日本社会は親も含めてとにかく急ぐように、上昇のエスカレーターを上っているけど、拡大成長していった先に本当に幸せが待っているのか」とか、「何を目指してみんなあくせく働いているんだろう」と考えるようになりました。今振り返ると、これが定常経済というようなことを考えるようになった出発点で、「中2問題」と呼んでいます。1975年のことです。

熊野:なるほど。あの頃は確かに、「成長しなければ人にあらず」といった空気がありました。

広井氏:中2問題は価値の問題でした。進路の選択も含めて、何か価値判断をするときに、何を最終的な判断基準にすればいいのか、という問いですね。

次が大学入試に直面する高3のときです。自分の中で中2問題が非常に鮮明になってきました。青臭い話ですが、「このまま親の期待通りに大学に進み、レールの上を生きていっていいのだろうか」と考えたのが「高3問題」です。

熊野:高3というと、第2次オイルショックがあった翌年の1979年ごろですね?

広井氏:はい。先ほどのようなことを考えていると、次第に哲学的な方向に関心が向かい、自分は今生きて意識を持っているけれどやがては必ず死ぬわけで、「生きて世界を認識するとはそもそもどういうことなのか」といったことをあれこれ考えるようになりました。段々その問題意識が自分の中で大きくなり、大学に行くべきか悩みましたが、アドバイスをくださった方もいて進学を決めました。

今こそ、これまでの「価値や資本」に哲学のメスを

熊野:競争よりも本質的な問題に注力されて、大学に進学されたと。専攻は何でしたか?

広井氏:最初は法律専攻でしたが、私の頭は哲学的な関心で占められていきました。そして大学3年で科学史・科学哲学という分野に専攻を変えたのですが、その頃に廣松渉(ひろまつ わたる)という哲学者を知ったんです。知る人ぞ知る存在でしたが、学生の間でも当時かなり影響力がありました。

廣松渉は、元々マルクス研究者で学生運動もやっていた人です。『世界の共同主観的存在構造』という著書で、思想としての近代とは何か、近代を超克するとはどのようなことかを哲学的に問うていました。共同主観的というのは難しい表現ですが、今風に言えばコミュニティや関係性を重視する世界観とも言えますね。

熊野:マルクス主義ときたら、唯物史観(※1)に傾倒するのでは?

1唯物史観...マルクス主義の歴史観。物質的・経済的な生産力や生産関係の変化が歴史を発展させる原動力になるという考え方。

広井氏:それは鋭い御指摘で、最近の話題ともつなげますと2022年に斎藤幸平さんが『人新世の「資本論」』という本を出しベストセラーになりましたが、斎藤さんがおっしゃることは私から見ると、廣松渉が言っていたことに近いんです。

要するに、マルクスを深く読んでいくと、実は唯物史観ないし唯物論は生態史観あるいはエコロジー的な世界観と言い換えてもいいような話が出てくるんです。マルクスの「意識とは意識された存在である」という有名な言葉があり、人間の意識は独立して存在するのではなく、世界や生態系がまずあって、その一部として存在するということです。ある意味では、環境政策の議論で出てくるような、「人間中心主義」を乗り越える思想とも言えます。

廣松渉は、最近は知っている人も少なくなりましたが、マルクスの思想を、生態系やエコシステムという文脈から理解するような議論を当時から行っていた、かなり先駆的な研究者だったと思います。

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熊野:マルクスの考えから言っても、商品の価値の源泉は労働であり、労働が商品として社会とつながっている以上「それを中間搾取する資本家は価値を生み出しているのか」という話ですよね。しかし近代になると、貨幣は単なる交換の媒介物ではなくなり、人間社会の権力関係や支配構造と結びついた。つまり、物質的な貨幣の量が権威を持ち始めたということです。今、一般的に認識されているような「唯物史観」がつくられたのは、貨幣というものを近代以前の「交換の媒介物」という延長線上でしか考えていないからだと思うんですよ。

広井氏:おっしゃる通りです。

熊野:実は、斎藤さんとも2022年に対談をしています。その際にも感じたことですが、資本主義という概念は「e(成長率)=貨幣」になっていて、投資をして資本家が儲かる構造になっている。それは中世の血統主義を壊したかもしれないけれど、新たな格差が生まれた。そんな近代を超えようと思ったら、そもそも価値とは、資本とは何だ?ということを問いなおし、変えていかなければならない。

50年前のストックホルム宣言以降、不安が政治と経済の駆動力になり始めたと感じています。希望を薄めて不安を集める社会になり、そのピークが2001年のアメリカ同時多発テロ。そこから四半世紀、不安によって政治と経済が動いている気がします。

人間は弱いので、安心をつくるためにはまず安定が必要だと考える。それは条件付きの安定社会であり、社会主義ですよね。今、そのような計画経済で中国は経済的にアメリカを超えようとしています。その方法が、反欧米的な戦後の価値観を変えようという流れにも繋がり、世界的に高い経済シェアを持つBRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)が動き始めました。

今こそ、広井先生の中2問題・高3問題の「価値とは何か?」「資本とは貨幣だけなのか?」というところに社会全体で根本的な哲学のメスを入れないと、近代の二項対立的な価値観から抜け出せないままだと思うんです。

広井氏:そういう面はありますね。廣松渉はおもしろい思想家で、私が悩んでいたときに一つの大きな導きの糸を示してくれたような存在でした。ただ、彼が言っていることすべてが正しいとも思えず、考え続けていた大学3年の終わりの春休みに、私の中で「時間」というキーワードですべて解決するようなある枠組みに到達したんです。

生命の根源は「現在」

熊野:時間と聞いて、哲学者マルティン・ハイデッガーの時間論を思い出しました。彼の著書『存在と時間』では、存在するとはどういうことかを時間や歴史などとの間で論じていて、非常に東洋的な領域が入っていますよね。

広井氏:はい。私の時間論では「時間には3つのレベルがある」としています。最も表面的なレベルは、ニュートン的な時間と言ってもいい、過去から未来へと無限に流れる直線的な時間。これは実は近代社会特有の概念で、必ずしも人間にとって不変なものではないんです。

より深い2番目のレベルにあるのが、私は「時間性」と言っていますが、ハイデッガーの時間論に近いです。ただひたすら現在を生きるのではなく、人間は何らかの目的を設定します。例えば、狩猟採集民族であれば罠を仕掛けて獲物が来るのを待つとか、構造的な時間の秩序の中で生きる、という時間性が根底にある。

さらにより根源的な時間の層があるのではないかと、私が名付けたのが3番目のレベルの「原現在性」です。原理の「原」と「現在性」で、根源的な今という意味です。

例えば、生まれたばかりの赤ん坊は今を純粋に生きています。しかし、現代人は常にスケジュールに追われ、未来のことばかり考え、今をあまり考えていない。人間にとって最も生命の根源である「原現在性」を取り戻していくことが大事だと思うようになったわけです。

時間の構想は価値の問題と結びついています。そして、価値の源泉になるのは根源的な今を生きることであると考えています。

熊野:それで書かれたのが、『無と意識の人類史』ですか?

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広井氏:それはよくぞ言っていただいて(笑)。大学3年のとき、そういう時間論に達したんですが、30代後半あたりから生と死、死生観のテーマがより大きくなりました。40歳頃に、『定常型社会』と『死生観を問いなおす』(筑摩書房)という本をまとめることができ、一区切りになりました。しかし、20023年ぐらいに、かなり根本的な転換が起きたんです。

それまで、自分はいわゆる近代的な個人の意識から出発してものを考えていました。しかし、それは順番を間違えていて、最初にあるべきは、まさにアミタが重視されている生態系や自然であって、私が考えていたような意識や自我などはほんの一部に過ぎないんだ、と。

宗教はそれぞれ死生観を打ち出しています。例えば、キリスト教だと聖書に「永遠の生命」という言葉が何回も出てきますし、仏教の場合は「空」。高度に体型化された宗教は、抽象的な概念によって生や死の問題を捉えようとします。でも、それには限界があるのではないかと思うようになりました。

それでたどり着いたのが「自然のスピリチュアリティ」と言っているものです。要するに、八百万の神様のような世界観です。自然の中に有と無、あるいは生と死を超えた何かが含まれているという自然観、世界観に行き着きました。それから日本の「鎮守の森」に関心が向くようになり、「鎮守の森コミュニティ研究所」というシンクタンクを10数年やっています。

制約条件の中で、人間は文化的な発展へ方向を切り替えた

熊野:面白いですね。余談ですが、トルコのギョベクリ・テペ遺跡は推定約12000年前の神殿だと言われていて、城壁を作るために多くの人が集まったけれど、周りは岩山ばかりで、やがて食糧が不足してきた。そこで農耕や牧畜が始まったと言われているんです。つまり農耕が始まる以前に、人類が協力して巨石を運び、神殿を作ったわけです。狩猟採集から農耕、牧畜が始まり、争いを緩和させるために神が生まれたという、それまでの歴史の考えがひっくり返ってしまったんですね。

ただ、そもそもなぜそこに多くの人が集まって労働を提供したのか、まだ解明されていないんですよ。諸説ありますが、「僕らはなぜ動物と違うんだろう?」という疑問から、「意味があるから人間なんだろう」「誰が意味をくれたんだろう」という意識が生まれ、神をつくり、神のための行動が始まったと言われています。今、お話を聞いて、そういう話に近いのかなと。

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広井氏:熊野さんは本当に引き出しが多いですね()。『無と意識の人類史』にも書いたことですが、ホモ・サピエンスが20万年前にアフリカで生まれ、拡大成長する時代と、それが定常経済に移る時代のサイクルがこれまでに3回あったというのが私の考えです。私たちが今生きているのは、3回目の拡大成長から定常経済への移行期であると捉えています。

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<世界人口の超長期推移>
(ディーヴェイの仮説的図式)

アフリカでホモ・サピエンスが生まれて地球上に広がり、狩猟採集で人口が増え、資源や環境の限界にぶつかり定常化する。そこから約1万年前に農耕が始まってまた人口や経済が拡大する。でもまた資源や環境の限界にぶつかり、定常化する。これがいわゆる中世で、3回目のサイクルが今に続く時代です。

私が注目したいのは、拡大成長から定常経済に移るとき、人間の意識や価値観に非常に大きな転換が生じていることです。5万年前ぐらいに心のビッグバン、あるいは文化のビッグバンが生じたと言われていて、絵画や洞窟壁画、装飾品などが一斉に生まれたんです。教科書にも出てくるラスコーの洞窟壁画のようなイメージですが、日本では少し時代が下がりますが縄文土器などが象徴的な例ですね。

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<「心のビッグバン」のイメージ:八ヶ岳南麓から発掘された縄文土器遺跡群>
井戸尻考古館所蔵)

なぜそれが生じたかというと、環境や資源の制約にぶつかったとき、人間が文化的、精神的な発展へ方向を切り替えたからだと考えています。農耕時代の拡大成長から定常経済への移行時にも、紀元前5世紀頃に、ドイツの哲学者ヤスパースが「枢軸時代」と呼んだ大きな転換が生まれました。そして、インドでの仏教、中国での儒教や老荘思想、ギリシャ哲学、中東でのユダヤ思想など、現在に続く普遍的な思想も同時多発的に生まれ、そこから建築、音楽、絵画など様々な文化的創造が生成しました。

こうして見ると、今は人類の歴史の中での第3の拡大成長から成熟定常化への移行期で、新たな価値観や意識、世界観に変化が生じようとしているのではないかと思うんです。

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<人類史における拡大・成長と定常化のサイクル>
(広井氏提供)

熊野:僕も今は大変革期だと思いますが、これまでの2度の定常経済と今の定常経済は、中身が違うと思っています。平均年齢が非常に高くなり、少子化が進むこれからの定常経済はどうなると想像されていますか?

広井氏:根本的なテーマですね。20世紀は世界人口が一番増えた時期で、約16億から約60億へと4倍に増えました。今は約82億ですが、実は世界人口は成熟期に入ろうとしています。国連の推計でも2080年代には約100億とされており、まさに定常化です。

これから人口が増えるのは、アフリカぐらいで、実は2100年の世界人口推計の国別ランキングでは、1位はインド、2位は中国ですが、ベスト10にアフリカが5か国も入るとも言われています。だけど、それもやがて定常化し、世界全体の人口が定常化していく。私は、「グローバル定常型社会」と言っています。ただ、江戸時代など農業中心の定常経済と同じかというとそんなことはなく、工業化が大きく進んだ後の時代なので生産のレベルは高い。

これに関して、社会学者の見田宗介さんが著書『現代社会はどこに向かうか』で「豊かな高原に達した社会」と述べていました。「高原」というのは確かにうまい表現で、見田さんは、GDPが伸びなくても嘆くこともないし、むしろ低成長というのは社会が物質的に十分豊かになったことの証という見方をしており、私もそう思います。そして、環境や文化、コミュニティ、あるいは精神的な方向に人々の関心が向かっていく社会の新たな豊かさをどう生きていくか、つくっていくかが、これからの時代の人間の課題だと説いています。

熊野:ウェルビーイングや関係性といった話にもつながりますね。後半でより詳しくお伺いできれば。

後編へ続く

対談者

広井 良典(ひろい よしのり)氏
京都大学 人と社会の未来研究院 教授

1961年岡山市生まれ。東京大学教養学部卒業(科学史・科学哲学専攻)、同大学院修士課程修了後、厚生省勤務、千葉大学教授を経て2016年より京都大学教授。この間2001-02年MIT(マサチューセッツ工科大学)客員研究員。専攻は公共政策及び科学哲学。『日本の社会保障』(岩波新書)でエコノミスト賞、『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)で大仏次郎論壇賞受賞。他に『定常型社会』『ポスト資本主義』(以上岩波新書)、『人口減少社会のデザイン』(東洋経済新報社)、『科学と資本主義の未来』(同)など著書多数。この間、内閣府・幸福度に関する研究会委員、国土交通省・国土審議会専門委員、環境省・次期生物多様性国家戦略研究会委員等を務める。



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