テクノロジーと人類の未来 ~託された判断~ (前編)

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2024年4月に設立された、循環と共生をコンセプトに公民の共創を促進する「一般社団法人エコシステム社会機構Ecosystem Society Agency:略称ESA、以下ESA)」。
当社はESAの正会員企業として発起参画し、代表取締役社長 兼 CIOOの末次貴英が代表理事を務めています。このたび、当社の代表取締役会長 兼 CVOの熊野英介が、ESA理事の寺澤和幸氏と対談を行いました。
NECソリューションイノベ―タ株式会社にて、パブリック事業ライン理事、エグゼクティブプロデューサー(スマートシティ)、スマートシティソリューション事業部長を兼任する寺澤氏。
テクノロジーの変遷やスマートシティ構想、ESAへの期待などについて語り合いました。
(対談日:2024年6月20日)

人生初のパソコンに「人間の知能を超える可能性」を予感

寺澤氏:今日はお招きいただきありがとうございます。錚々たる先生方と対談されていたので、企業人の僕が出ていいのか(笑)。

熊野:ぜひ寺澤さんとがっつりお話したいという僕のリクエストです(笑)。

寺澤氏:じゃあよろしくお願いします。

熊野:今日は、社会の複雑性や不確実性が拡大し、さらにはスーパーコンピュータなどのテクノロジーがどんどん進化していく時代において、後追いとなる産業をどのように発展させていくかというお話をお聞きしたいと思っています。MIT(米国マサチューセッツ工科大学)メディアラボのネリ・オックスマン教授は、複雑になった社会を調和するために、自然の摂理を学ぼうという考えを提唱しています。彼女は論文の中で、クレブスサイクルというアミノ酸の代謝を産業界に当てはめて「アート、サイエンス、エンジニアリング、デザイン。この4象限をもつれるように思考することがイノベーションになる」と説いているんです。これが僕はとてもしっくりきて、共感しているんですね。「イノベーションのためには、分けるべきではなく、もつれないといけない」と。

早速ですが、寺澤さんは、いつ頃からこの混沌の世界に興味を持ち出したのですか?

寺澤氏:混沌の世界というか、僕が一番衝撃を受けたのは、小学生の頃、父がパソコンを買ってきたときです。弊社の話で恐縮ですが、当時はNECがハードウェアをつくっていて、NECのパソコンが国内トップシェアで、全盛期でした。1980年代から2000年頃までですかね。

それを父が買って使っているのを見て、「これは人間に取って代わるほどの可能性があるんじゃないか」と衝撃を受けました。それから、いろいろなプログラミングやパソコンの解析に没頭していきました。

その頃に、小さいポケットコンピュータみたいなものが各メーカーから出ていて、そのポケットコンピュータを自分で買って、プログラミングして、学校に持って行ってみんなで遊んでいました。1980年の初頭ぐらい、僕が小中学生の頃ですかね。

熊野:ありましたっけ?

寺澤氏:はい、カシオさんやシャープさんが出していました。見た目は関数電卓なんですが、プログラミングも組めるんです。当時出ていた雑誌を読み漁っていました。そのとき、「こういうパーソナルコンピュータがいつか人間の知能を超えるんじゃないか」とすごくワクワクして、そこからこの業界に興味を持ち始めました。

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熊野:ちょっと待ってください(笑)。あの時代に、パーソナルコンピュータが人間を超えるかもしれないと思っていた人って、いないですよね?しかも小学生で。

寺澤氏:そうですかね?僕は一生懸命パーソナルコンピュータをいじって、今のChatGPTのように、会話できるようにならないかなとか考えて、そういうのをつくったりしていました。たいしたものではないですよ。何かをしゃべると「こういうことを言いましたよね」とオウム返しをするだけです。それでも人って、コミュニケーションをとれたように感じるじゃないですか。そういうのはプログラミングですぐ組めるものなので、つくっていましたね。

熊野:なるほど。僕の記憶では、インターネットなどの先端技術が本格化したのは、冷戦が終わった後の90年代以降で、LANの仕組みやオープンリソース、Linux(OSの一種)が出てきました。その頃寺澤さんは大学生ですよね?

寺澤氏:大学生です。それ以前は通信回線を使ってモデム(デジタル信号とアナログ信号を変換する装置)に接続して通信していたので、容量が小さく、できることも限られていましたね。LANが流行り出したのは大学生ぐらいの時期で、私自身も工学系の大学で学び、どうしてもパソコンをつくりたいという想いで今の会社に入社しました。

熊野:その頃から、情報というものがアナログからデジタルになっていきましたよね。

寺澤氏:はい。1995年にOSの歴史を変えたともいわれるMicrosoft Windows 95が発売されたのですが、私は当時、北米のマイクロソフトに常駐し、5年間ほどMicrosoftと共同開発をしていました。

パソコンをつくるということは、当時でいう、ソフトウェアの面でWindowsのオペレーティングシステムを開発するということになります。NEC製のパソコンは、ハードウェアのスペックがIBM PC/AT互換機とは違うんです。そういったものを順応させ、Windowsが動くようにするという共同開発を5年ほどしていました。

熊野:そうでしたか。実は私、1997年にシアトルに行ったんですよ。ある橋の麓で、タクシーの運転手が「あそこにビル・ゲイツが住んでいるんだ。あそこのビルは窓が98あるんだ、アハハ」とか言うけど、僕はポカンとしてました(笑)。その当時、MicrosoftがWindows98を開発してたんですが、そのジョークが分からなくて(笑)。

というのは余談で、、、あの時代のシアトルで寺澤さんは、何を1番夢見ていましたか?

寺澤氏:そうですね、当時は若かったので、とにかくものづくりが楽しくて仕方なかったんですよね。40代ぐらいまでは仕事が趣味だったので、もう言ってしまえば給与明細すら見たことがなかった。仕事しかしてなかったし、天職だなと思っていました。お陰で、当時マイクロソフトやアマゾンの株が上がるよと英会話の先生に言われても全く興味がなかった自分に深く後悔しています(笑)。

熊野:今もでしょう?

寺澤氏:今はちょっと大人になりました(笑)。その後パソコン、携帯電話、スマートフォンと、中核となるオペレーティングシステム(OS)をずっと担当しました。それがないと動かないわけですよ、パソコンも携帯電話も。重要なコアコンポーネントを担当させていただき、やりがいがあったのでエンジニアとしては良かったです。

でも部長になったときくらいかな、ご存知の通り、NECがコンシューマー製品から撤退しました。それで会社を辞めようかなと考えていたら、いろいろなセンサー類からデータを集めて社会課題に対応する動きが流行りだしたんです。IoTという言葉が出始めた2014年頃だったと思います。

そういうビジネスを僕も考えてみたいと思い立ったとき、「スマートシティ」というキーワードを思い出したんです。IoTは最初、工場の生産ラインの最適化など、製造業から登場しました。でも僕は、社会や人の役に立つ製品、サービスを提供したいというモチベーションが元々あったので、単純な効率化やラインの最適化はやりたい領域と少し違うなと思っていました。そこでスマートシティを思い出して、「これだったら、都市に暮らしている人々に対して平等にいろんなサービスを提供することになるので面白そうだ」といろいろ調べまして、欧州でスマートシティの先行実証が始まっていることを知りました。NECの欧州の研究所がスマートシティの研究をしていたのでそこに連絡して、共同研究を始めたんですよ。その時に、やっぱり現地に行ってみないと分からないということで、欧州の複数のスマートシティの視察もしました。

熊野:この時代に、世界中で複数のスマートシティがあったのでしたっけ?

寺澤氏:その当時そこまで数は多くなかったですが、うちの会社も実証や社会実装をしていたので、何カ所か周らせてもらったんです。そこで見たのが、自治体の社屋の中にある「シティオペレーションセンター」で、要は高速道路や鉄道の管制室みたいなところが、自治体の中にあるんですよ。そこで何をやっているかというと、渋滞情報や大気、騒音、あとは住民からのいろんな通報とか、そういった情報がパパパッとリアルタイムで出てくるのを、この部屋で監視し、何か起きれば、リアルタイムに対応していました。

スペインのバルセロナやサンタンデールが発祥で、リアルタイムの対応だけでなく、蓄積されたデータをもとに、こういう問題が起きやすいですよとか、犯罪が起きやすいですよとか、次の政策に活かすこともしていたので、これはすごいなと思って話を聞いたら、その中核をなす技術が「都市OS」でした。自分の中で、日本にこれを持っていきたいと決意したのが、2015年ぐらいだったと思います。

社会課題の統合解決を叶えるプラットフォーム「都市OS」

熊野:確か、2011年の3.11の後、日本政府もスマートシティと言い始めましたよね。

寺澤氏:そうですね。「ICT街づくり」と言っていました。私が関わり始めたのは2016年頃でしたが、当時スマートシティに関係する国の事業もなかったので、国や政治家の方に売り込みました。最初に興味を持っていただいたのは総務省で、「データ利活用型スマートシティ推進事業」を立ち上げてくれました。

いわゆる技術屋としてそういう政策提言に初めて関わることになり、技術をうまく活かすには、"社会課題に対してこういうテクノロジーが重要だから、こういう事業をやって、さらに地域実装まで進めないといけない"ということを意識するようになりました。それまでは、何かものを作れたら楽しくて。でも作るだけでは社会は変わらない。

熊野:都市OSを、動的平衡(常に変化しながらも全体で均衡を保つ)で調整しながら動かそうと思うと、まさしくエコシステム的なことをイメージしないといけない。生態系というのは、常に変化しながら全体として最適な状態を維持し続けています。これと同様に、都市OSも部分最適を積み重ねても、壊れていきますよね。そのあたりの、全体の捉え方は欧州で学ばれてきたのでしょうか?

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寺澤氏:日本に適用できないかを考えたとき、欧州のものをそのまま持ってはこれないと思いました。なぜなら、課題が違うからです。少子高齢化で地方の労働力が低下しているとか、多発している激甚災害とか、日本固有の社会課題は欧州にないわけですよ。それを解決するためには、1人や1社が何をやるかではなく、いろいろな課題を統合的に解決するデータを提供する人と、それを使ってサービスを開発・提供する人を結ぶような、ハブ的なプラットフォームが要ると考えて「データ利活用型スマートシティ推進事業」をご提案したんです。分野を横断したデータ活用で、いろいろな社会課題を解決しましょう、と。

熊野:情報のハブ機能ですね。あらゆるモノには情報が付随しているじゃないですか。そのインフォメーション(情報)を再編纂して、新しいインテリジェンス、つまり価値ある智慧に変えていくとき、そこは人間技なんですか、機械技なんですか?

寺澤氏:両方ありました。今は生成AIでもある程度学習をさせれば、同じような形式で吐き出すことは可能ですね。

熊野:でも、世の中は常に動き続けているので、インフォメーションをインテリジェンスに変えるということは、その情報の初期化の連続性になるような気がするんですよ。つまりは、情報を単に集積するのではなく、状況の変化に応じてインフォメーション自体も絶えず更新・修正し続ける必要がある、ということです。残滓は残るかもしれませんが、概ねは初期化しながら、次のインフォメーションをつくっていく作業になると思うんです。
そのとき、直感でAを選ぶ、Bを選ぶ、Cを選ぶ、Dを選ぶ。仮にB、C、Dを選んだものが死滅すると、Aを選んだものが生き残るという世界が生態系ですよね。そういう世界は生成AIでつくることができるんですか?

寺澤氏:難しい質問ですね。でも可能性はあると僕は思っています。今、いろいろなデータをシミュレーションすることが、都市系も必要だと言われています。身近なところでは、人口動態を見た上で、生成AIに「何年経ったら社会保障費がこれぐらい上がる。もしも、これぐらいの人が行動変容してくれたら...」っていうケースを与えると「これぐらい社会保障費が有意に下がります」と、ある程度出せると思うんです。だから、可能性としては無きにしもあらずかなと。

熊野:なるほど。その時に情報を生成AIで学習しながら分析すると、パターン認識において、確率の高い判断をする、新しいインフォメーションを作っていく、ということですね。

寺澤氏:おそらくプランA、B、Cと出してくるので、それを最終的に判断するのは人間だと思います。

技術の進歩と人間力の退歩

熊野:量子コンピュータの時代になったら、そのプロセスはどうなりますか?

寺澤氏:量子の時代では、そういったシミュレーションは一瞬で終わるので、いろいろな最適解を出してくると思いますけど、それを本当に鵜呑みにしていいかどうかは、議論の余地はありますよね、やっぱり。

熊野:やはりそうですよね。ヒューマンエラーを避けて、それを選んだときの人間社会はどうなるのかなと危惧します。

寺澤氏:それは、僕が最初にパソコンを見たときに感じた話ですね。人間の知能を超えて、いろいろな物事をコンピュータが決めていってくれる時代だと思うんですけど、子どもの頃はそれがすごいと感じていました。でも大人になるにつれ、いろいろな人がいて、多様な考え方もあるなかで、一つの選択肢には絶対ならないなと思い始めたんです。それは量子コンピュータも同じで、出す答えはきっと一つではない。そして、それぞれの答えに関するメリット、デメリットをもとに、最終的には人間がどうするかを決めないと。人間の役割はそこに尽きるんじゃないかな。政策系は生成AIがどんどんつくれるようになっていくけれど、「最終的にどっちをやるか」という判断は、人間の領域なんだと思います。

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熊野:そういう話を聞くと、僕は今、現代人は本当に「人間」なのかな?と考え始めてしまいます。言語がなかった時代は、マンモスを倒すために、合図を出しながら100人ぐらいが集まって連携するわけですよね。それは集団知になって、失敗も糧にしながら成功確率を上げてきたので、今の我々が生き残っているわけです。しかし現代社会では、周囲と関わらなくても生きていける環境をつくってしまいました。

その結果、個人レベルの判断はできても、「マンモスを獲るぞ!」というような大きな決断ができなくなってしまったのではないか。つまり、言語がない時代の人間性と比べると、現代人の集団力は劣化し、集合知は希薄化し、人間能力が低下した種になってしまったのではないかと思うのです。

寺澤氏:なるほど。直感的な判断が衰えてきているんじゃないかと。

熊野:はい。古代人はリスクをも経験則として、生き残ったわけですよね。ホリスティックな経験則を信じて、システマティックな思考は初期化していく、という風に。

寺澤氏:その通りで、おそらく現代人は思考停止していると思います。生成AIに相談すれば答えや選択肢が出てくるのだから、自分の意思を持つことは減ってきていると感じます。僕自身もそうですしね。

熊野:そこで面白い話があるのですが、虫は神経の束である小さな脳しか持っていないですよね。なので、人間のような記憶を持つことができません。けれども、例えばアリを見てみると、行列を成してどこか一斉に向かっているときでも、ふとした時にそこからピュッと別の方向に飛び出すアリがいます。そして、飛び出したアリがその先で得た情報を集団に持ち帰って、今度は一斉に別の方向に歩み出します。

これはとても興味深い現象で、つまり記憶を持つことができない虫には、直感で素早く決断するヒューリスティックな思考が働いている可能性があるんじゃないかと。そう考えると、記憶をもとに現在の最適解を判断することはできても、将来を見据えた決断ができなくなった思考停止の現代人も、社会的な集団においては様々な経験則や要素を踏まえた、ヒューリスティックな意思決定を発揮できるかもしれない。そこに生命力の解があるのではないかなと思っています。

これを踏まえて都市OSの話に戻ると、これまでのビジネスは機能提供が中心だったんですが、僕は成熟社会になったら、これが変わっていくと考えています。「アフォーダンス」という言葉があって、これは環境が動物に対して与える意味や価値を指します。環境に無数にあるアフォーダンスに対して、その適切な使い方を助けるためにデザインすることを「知覚のアフォーダンス(シグニファイア)」と言いますが、これからは、知覚のアフォーダンスのように、人々に対してある状況を喚起させるシチュエーションや統合的な機能をデザインし、サービス化する時代だと思います。それを社会実証しているのが、互助共助コミュニティ型の資源回収ステーション「MEGURU STATION®(めぐるステーション)」なんですよ。人と関係する面白さ、喜びを喚起する仕組みとしてデザインされた空間です。ひと手間かけてごみを分別したら資源になって社会に貢献できるということや、助け合うことで皆が居場所を獲得できるという社会的動機性で、人は本当に集まるのか?それを実証する実験です。

ここの利用者にアンケーを取ると、利用頻度が高い人は、健康や幸福感への意識が有意に増加していることが分かりました。「気持ちが明るくなった」「健康を保つことができていると感じる」「将来の楽しみが増えた」などの項目でポジティブな評価が得られています。そうなると、オートポイエーシス(自律的に秩序が生成されるようなプロセス)的に、状況をつくり出す構造があれば、この仕組みが継続する可能性もあるなと。

寺澤氏:それはいわゆる「内発的動機付け」のように、自分の中で湧き上がる何かがあれば、進めるのではないですか。

熊野:進んだ上で、維持のために、また構造がいると思うんです。自己組織化をする仕組みと、それを維持する仕組み。これらが構築できれば、今後の都市設計におけるスマートシティ2.0のような、次の段階に入るんじゃないかと思っているんですけど、今のままなら......

寺澤氏:進まないのではないか、と。

熊野:進んだとしても、行政やシステムへの依存型、管理型の街づくりになってしまって、人としてのウェルビーイングが湧き上がるような仕組みにはならない気がします。そうなると、街は停止してしまうと思うんです。

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寺澤氏:そうですね。地方の自治体を巡っていてよく言われるのが、例えば医療領域だと、「医療福祉従事者が全然足りません」と。今、地方交付税で成り立っている地方がいつまで続くかわからない状況で、その生産性を劇的に上げなきゃいけない。

ビジネス的な僕の考えでは、行政の業務がどんどん民間にアウトソースされて、民間の知を活かした都市経営を進める時代が絶対に来ると思っているんです。行政は、例えば住民のサービス向上に資する企画立案に注力して、実行領域はすべて民間に任せるような官民連携の時代をイメージしています。

熊野:持続可能な地域運営のポイントは何か、ということですね。後半はそこを深堀りするところから始めましょう。

後編へ続く

対談者

寺澤 和幸 (てらさわ かずゆき)氏

NECソリューションイノベータ株式会社 
パブリック事業ライン理事
兼エグゼクティブプロデューサー(スマートシティ)
兼スマートシティソリューション事業部長

1992年に日本電気ソフトウェア株式会社に入社し、北米と日本にてコンシューマー製品のOS開発のリードエンジニアとして長年従事。その後、組込事業、IoT事業の経験を経て、スマートシティにおける新規事業と開発を担当。スマートシティリファレンスアーキテクチャの策定やデータ連携基盤の普及促進など国の政策と連動した活動から複数地域におけるスマートシティ実装まで幅広く手掛ける。


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